小田原 2017-12-28

後北条氏が居城とした戦国時代の小田原城は、現在の天守閣がある江戸時代の小田原城より山側にありました。遺構の多くは市街地の下に埋もれてしまっていますが、現在でもところどころその姿を見ることが出来ます。

2017年末、小田原駅から八幡山古郭西曲輪跡・東曲輪跡と早川口遺構を訪ねてみました。小田原城北側の青橋から住宅地内を歩いて小田原高校南西側に出ましたが、最短ルートは小田原駅西口から城山中学入口の信号を渡り、坂道と階段を上がって県立小田原高校正門近くに出るコースと思われます。


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pic001 県立小田原高校南西側
01 「無断立入禁止」のやや古い看板がありますが、階段の上は近年になって次の写真のように歩道が整備されており、学校敷地内に入らずにこの先を通行可能です。

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pic002 高校敷地外周の歩道
02 学校敷地と金網で区切って歩道が作られています。歩道は学校敷地の東面と南面に作られており、北及び西面は元々公道があるため学校の周囲を周回することが出来ます。

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pic003 高校通用門
03 門の中は学校関係者以外立入禁止です。

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pic004 三味線堀跡
04 写真2の歩道で学校敷地の東側を進むと、学校敷地内に「三味線堀」の表示柱があります。

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pic005 八幡山
05 この辺りは「八幡山」とよばれています。この型式の石柱は市内の各所に有り、正面にその場所の説明、両側面に漢字とひらがなで地名が記載されています。

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pic006 小公園
06 学校の北側で一度引き返し、写真3の通用門を右手に見て右折すると休憩用のベンチがある小公園が作られています。なお付近にトイレの設備はありません。学校北側から徒歩数分の所に城山陸上競技場と城山公園が有り、それぞれトイレの設備があります。

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pic007 八幡山古郭説明板
07 この一帯は「八幡山古郭」と呼ばれ、戦国期・北条氏の小田原城の中核施設がありました。小田原高校付近のこの場所が「西曲輪」、後で紹介する現天守閣西側の丘陵地が「東曲輪」になります。

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pic008 天然記念物説明板
08 小田原城とは関係ありませんが、小田原高校周辺の樹叢は現在となっては貴重な照葉樹林で、県の天然記念物に指定されています。また、同校南門近くに明治時代に植えられた桜の木が残っていますが、かなり厳しい状態です。

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pic009 大久保神社
09 江戸時代の小田原藩は、途中一時中断があるものの大久保氏が藩主を務めました。小田原高校南側の坂道沿いにある大久保神社は、初代藩主大久保忠世と、江戸時代後期に幕府要職を務めた11代忠真を祀る神社です。明治33(1900)年まで現在天守閣のある天守台に有ありました。(本項は小田原市観光課公式サイトによる)

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pic010 現天守閣
10 大久保神社前から坂道を降りて、競輪場前を左折して切り通しになっているJR東海道線および箱根登山鉄道の線路を右手下方に見て小田原駅方向に進むと、まもなく右手に現在の天守閣が見えてきます。現在の天守閣は「復興天守」に分類されます。復興天守とは、所在地は過去に天守閣があった場所ですが、外観は正確な記録に基づいて復元されたものではなく、現存する城を参考にまたは想像により再建されたものです。(Wikipedia)
天守閣を含む城の大部分は明治3(1870)~5年に取り壊され、昭和35年におおむね往時の外観を復元する形で(ただし存在しなかった天望回廊が作られた。)鉄筋コンクリート製の天守が復興されました。2015年から耐震強化と瓦・壁などの修復が行われ、2016年5月より新しい姿となって公開されています。

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pic011 線路沿の道
11 箱根登山鉄道とJR東海道線の線路沿いの道路、線路は堀割になっています。正面が熱海方面で、突き当たりの青いテントの見える建物は競輪場のそばにあるものです。

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pic012 東曲輪
12 前の写真の場所から反対方向(小田原駅方面)に進むと左手に開けた芝生地の斜面が見えてきます。ここが八幡山古郭・東曲輪跡になります。斜面の下を東海道新幹線のトンネルが通っています。道路から新幹線トンネル直上までの範囲が小田原市によって公有地化され、公園となっています。トイレなどの設備は有りませんので、線路の反対側にある城址公園を利用します。

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pic013 八幡山古郭東曲輪説明板
13 八幡山古郭の説明板です。戦国期の小田原城について詳しく説明されています。

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pic014 総構説明
14 総構(そうがまえ)の位置を示す地図です。海岸沿いを含め1周約9 kmの土塁や空堀が作られました。上杉謙信や武田信玄の軍勢による包囲を受けましたがその度に堅固な守りで跳ね返しています。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで秀吉軍と対峙しますが、交渉により開城したため小田原城が戦場となることは有りませんでした。

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pic015 東曲輪上部
15 東曲輪の最上部にある説明板です。発掘調査では戦国期の陶器等が出土したほか、縄文から古墳時代までの遺物が発見されました。この場所からは小田原市街地や相模湾が見渡せます。

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pic016 報徳二宮神社
16 小田原城天守閣南側に有る報徳二宮神社です。境内にはおしゃれなカフェや売店も有ります。

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pic017 参道入口
17 訪問したのが年末だったため、報徳二宮神社は初詣客を迎える準備がされていました。

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pic018 山角天神社境内
18 山角天神社の境内には手作りっぽい鉄製の遊具が置かれていました。神職か氏子役員に金属加工の得意な方が居るのでしょうか。ただし手前のブランコは幼児が乗るにしても少し低すぎる気がします。(笑)

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pic019 山角天神社拝殿
19 拝殿の貼り紙、賽銭箱ごと盗まれたようです。なんとも困ったことをする人が居るものです。

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pic020 山角天神社境内
20 正面が天神社の拝殿、左側の白い建物は社務所と公民館です。社務所前は休憩スペース、喫煙所にもなっているようです。

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pic021 扁額取付部分
21 鳥居に取り付けられた扁額を裏から見ました。これも手作りっぽさが感じられます。

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pic022 山角天神社参道
22 天神社の参道を階段の下から眺めたものです。階段を実際に歩いてみるとかなり急な傾斜です。

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pic023 旧小田原駅跡
23 天神社の下を少し歩くと早川口の交差点近くに出ます。ここにかつての人車鉄道(後に軽便鉄道)の駅が有りました。歩道橋の南側にそれを示す石柱が立っています。

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pic024 歩道橋
24 ここは正月2日、3日に行われる箱根駅伝のコース、歩道橋上は危険ですので橋の上で観覧することは出来ません。小田原中継所の位置が風祭に変更されたので、ここは4区と7区の走者が通過することになります。

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pic025 消防分署横 SHIBATA SHOTEN
25 歩道橋の反対側、消防分署の隣(正確には間に1軒分の空地がある)にある、時代を感じさせる看板建築。看板部には「SHIBATA SHOTEN」(Oの上には長音を示す「-」がある。)の文字があるのですが、現在はアサヒ産業という商号の模様です。築年や業種は不明です。

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pic026 早川口遺構入口
26 早川口から線路沿いを熱海方面に進むと「早川口遺構入口」の標柱があります。道幅が狭く、駐車場所が無いため車では入れません。自転車は問題ありません。

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pic027 早川口遺構
27 小田原城総構の一部、早川口遺構です。石垣は近代になって作られたものでしょうか。住宅地の中に土塁や空堀の痕跡が残っています。水堀の痕跡と思われる水路も少し残っています。

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pic028 空堀
28 空堀です。現存している部分はさほど深くありませんが、北条氏の城であった当時がどのような状態だったかは不明です。

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